孤独について

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私と孤独

一人でいることが好きだ。

友人の輪の中にいても、ふらっと抜け出して一人になろうとすることはめずらしいことではなかった。

そんな私を見て、「変な奴だな」「人間嫌いなのか?」と友人に言われることもしばしばあった。

彼らの言うことは理解できる。しかし、いまの私は人間嫌いなどではなく、ただ「一人でいること」が好きなだけだった。

私の人生の思い出を記憶から引っ張ってきても大体が一人でいる瞬間だった。

それが寂しいことだとは思わない。こういう方は意外といるのではないだろうか?

では、いつからそんな風になったのだろう?

多分、一度人間嫌いになったころからかもしれない。

まだ幼い頃、人間嫌いになる前は、ひとと一緒にいることは好きだった。むしろ一人でいることが孤独でどうしようもなく無意味なことだと思っていた。

”人生の意味や目的は、他人との関わりにあり、家族や友人や恋人といった存在に恵まれ、愛し合って生きていくこと”そんな陳腐な考えが根幹にあったからだろう。

しかし年を重ね、物心がはっきりし、自分の価値観を把握し始めてくると、人といることが苦痛であると、少しずつ自覚していった。

もっとも、私には他人には解決も理解もできないようなどうしようもない問題があった。きっとこれが一番の原因だ。

「自分を根本的に救えるのは自分しかいない」と理解するころには、美しい人間関係神話は崩れ去っていた。代わりに、孤独は私の人格を形成していった。

いつからか、私は人といることよりも、自分自身の殻にこもり音のない世界に身を沈める方が生きている実感を持つようになった。

人込みの喧騒の中にいても、無意識にひと気のない場所を探してしまうほど。

一人が好きな人とは

私が思うに、自分自身の軸やアイデンティティを実感として持っている人にとって、精神的支柱としての他者という存在は必要なものではなくなるのだと思った。

自分という人間の実感や感覚が薄いからこそ、他者を通すことで自分自身の存在を実感する。だから、他者に依存をするのではないか…?

いや、これは私の孤独に対するひいきがあるのかもしれない。長い間孤独の中で生きていると、”孤独で寂しい自分”をどうにか肯定しようとして、「いや、私は一人でいる方が好きだ」と勝手に脳がそう思ってしまうようになってしまった可能性ある…

でも、この考え方が脳の錯覚であっても私は構わない。

まあ結局、一人が好きな人って単純に人といることが疲れるから、という人が一番多そうだなとは思いますが(笑)

孤独好きを全面的に肯定したいわけではないが、「一人でいることが好き」だと思える人は、意外と幸せ者なのではないかと、思ったり、思わなかったりするのです。

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