理解されない悩みについて

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 他人から理解されないという経験は簡単に人を孤独にします。

もしあなたが、「理解されない悩み」を持っていて、それが死活問題になる程重要な問題だとしたら、きっと深い孤独感の中で生きておられることかと思います。。。

なぜ「理解されない悩み」は人を孤独にするのか

友達がいないなどの物理的な孤独は、数年程経てば慣れてしまいます。そして寂しいという感覚が分からなくなっていくのです。

しかし、「理解されない悩み」がもたらす孤独感は、慣れてくれるものなのか、私にはいまだわかりません。

この孤独が、ほかの一般的な悩みなどがもたらす孤独とどう違うのかというと、「悲しむ妥当性」が得られない可能性があるという点です。

どういうことかといいますと、まず反対に「理解されやすい悩み」であるなら自分がその悩みを他人に打ち明ければ、「そうか、それはつらかったね」といったように、共感を得ることができ、「あぁ、やっぱり私は苦しい状況にあるのか」と客観性を得ることができます。また、人に打ち明けなくても、自身を客観的に見て、つらい状況にあることを確認することもできます。

「理解されない悩み」の場合はこれと反対の結果になります。

仮に他人に打ち明けたとしても、微妙な反応を返されるでしょう(そもそも「こんなことを他人に打ち明けてもわかってもらえるわけない」と思ってしまい打ち明けるのは難しいですが、、)。

客観的に自分の悩みを見て、他人からの理解や承認は諦めてしまうのです。

すると「これは本当にここまで悲観するほど辛い悩みなのだろうか」と自分を疑い始めてしまいます。

ですがその答えが出てくることはありません。理解してくれる人はいないのですから。

そしてついには「こんなことで悩んでしまっている自分はなんて情けないんだ、、、」と自分を責めてしまい、出口の見えない孤独に迷い込んでしまうのです。

この孤独は一生影を落とし続けるでしょう。家族も恋人も友人も、本当に理解してもらえることは期待できないから。

「理解されない悩み」があなたにくれたもの

ただ悪いことばかりではないのかもしれません。

長いことこの孤独に浸り、苦しみ続けていると、いつの間にかこの孤独は自分の一部であると思えるようになるのです。いや、一部どころか核心的なものになっていきます。

それは、もはや自分を象徴するものへ、自身の中で変容を起こします

そしてこれは、その人だけが持つことを許された特別なものなのです。

このような認識になると、この孤独を愛せるようになるでしょう。たとえ誰からも理解されることがなく独りぼっちでも、自分自身がそれを痛いほど知っているから。

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