諦めるしか選択肢がなかった私の場合
「第一希望的人生」を諦める道しか残されなかった。
私はやはり受け入れられませんでした。
もう2度と、幸せを手に入れられないと思ったのです。
「第一希望的人生」を諦めたその先は…
しかし、もうすでに「第一希望的人生」のいわゆる「普通の幸せ」を感じることが減り、その重要性がほとんどなくなっていきました。
友人と笑い合ったり、家族団欒であったり、恋人と愛し合うことも、もうどうでもいいことになりました。
どうしてこんな風に思えるようになったのか、詳しくはわかりません。
ただ、もう自分が「第一希望的人生」から外れてしまった時、自然とこのように考えてしまうものなのだと思いました。
それでも不思議と、自分が不幸だとはあまり思いませんでした。
むしろ、「第一希望的人生」にしがみついて幸福を手に入れようとするレースから降りたことで安心感さえありました。
そして、代わりにひとりでいる時に強い幸福感を感じるようになりました。
これは慣れなのか、それとも適応なのでしょうか。
変わっていくけれど…
価値観は大きく変わりました。それによって普通の人たちの気持ちが少しわからなくなったりすることも多くなりましたが、これも私のアイデンティティなのだと、受け入れています。
私はかつて思い描いていた幸福を手に入れることはできなくなりましたが、それでも青空は綺麗だと思えるし、夜の散歩の寂しさが好きです。
決して不幸などではないのです。
結論づけると「幸福の形は人それぞれ」だとか言う陳腐なものになりますが、人生なんてそれでいいのです。
もしあなたが「普通の幸せ」を手に入れられないかもしれない、と感じたとしたら、こういう考え方もありかもしれないと参考になれば幸いです。
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