「生きる意味について」の補足

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「生きる意味について」の記事にて私は、

生きることが苦痛と感じれば感じるほど、その対価として人生に意味を持たせたくなる

ということを述べた。

これについて、社会心理学用語で「認知的不協和理論」という言葉がある。

簡単に説明すると、割に合わないと感じることに対し、その不満を解消するために認知を歪めてその不満を解消しようとする」という内容になる。

有名な例としてすっぱいブドウがある。”手に届かない場所にある美味しそうなブドウ”に対し、手に入らない不満を覚えると、ここで認知を歪め、「あのブドウは食べれてもきっとすっぱいのだ」と思い込むことで不満を解消するという仕組みになる。

このように認知を歪めることは日常でも行われる。

そしてこれは「人生そのもの」に対しても起こることではないのかと、私は思った。

それが「生きる意味について」で挙げた状況につながる。

つまり、「生きることがつらい状況」ということが、「人生そのもの」に対して不協和が起こっている状況なのではないかと思ったのだ。

そして、この不協和を解消するために認知を歪める。

「心を救う何か」が現れた時、それを「生きる意味」へと昇華することで。

こういった解釈ができるのではないかという、ただの素人の見解なので理論的に正しいのかはわからないが、もしこれが正しいのであれば、人生に苦しむ人を救う美しい考え方だと思う。

どんなに苦しくても、その苦しんだ分、その不協和が認知を歪め、「人生は悪くないかもしれない」と錯覚させてくれるかもしれないのだから。

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