恋愛至上主義な世の中
「愛」だの「恋」だのうるさい世の中がきらいだ。
そういう言葉が好きな人もきらいだ。
とりわけ「恋」という言葉だ。あらゆる分野において、恋愛という要素は、当然のように多くの作品のメインテーマになる。
最近はどうなのかはわからないが、2、30年前のヒットソングなどラブソングばかりが評価されていたような印象がある。現代も大差があるようには思えないが。
どうにもみんな恋愛が好きなようであった。
まるで「恋」が人生の目的であるかのようだ。そういった作品は「大切なパートナーを見つけなさい」だの「愛する恋人とともに過ごすことこそ幸福だ」だのというメインメッセージを残してエンディングを迎える。
私はこういった「恋愛至上主義」が大の苦手である。苦手というよりも違和感があるといった方が正確かもしれない。
皆さんも感じたことはないだろうか?
例えば映画などで、凄惨な過去から人生に絶望していた主人公が、1人の女性との出会い、人生が好転し、さまざまな困難を共に乗り越えながら、ハッピーエンドを迎えるような作品…
こんな作品にはひどく呆れてしまう。いつから「恋」は万能薬になったのだろう。
「恋」が苦手になったきっかけ
中学生だった当時、同級生たちの間で付き合う人たちが急増した。
思春期真っ只中だった皆は、まるで自分の青春の手触りを確かめるかのように、恋をしていた。
しかし私は、楽しそうな彼ら彼女らを見ても、何がいいのかわからなかった。
当たり前だ。その頃の私は、「恋」など目もくれないほど、私を救ってくれる存在を希求していたのだ。恋愛などしたいと微塵も思えないほど、精神的に限界だった。
思ったことは、「あの人たちは恋愛を楽しむだけの余裕があるのだな」ということくらいだ。
少しずつ自分が抱えているものが周りの人達と異なっていることに気が付いていった。
「私はこんなにつらい思いをしているのに、みんなは恋人を作って幸せそうにしている…」
私の抱える苦しみは、周りの人も当然同じように持っているものだと勝手に思っていた、そんな子どもじみた私の思い込みは、中学生になってようやく解消し、これは私ひとりの苦しみであると理解した。
こうして、「恋」は私を孤独にした。
「恋」に対する、嫌悪も併発した。
第三者からは、モテない人間のルサンチマンとしか思われないだろう。
すべての「恋」に対して嫌悪しているわけではない。
ただ、ぽっと出の出会いが、まるで人生の中心であるかのようになることが理解できないだけだ。
本当に「死んでしまおうか…」と思うくらいつらい状況で、「恋」がその救済になるとは思えなかったのだ。
こんなことを思っていた中学生だった私も数年後に恋人ができたが、この考えは結局変わらなかった。
当然、何がその人にとって大切かなど人それぞれなので、「恋」を優先する人を否定するつもりは全くない。むしろ恋人が、先に挙げた「私を救ってくれる存在」であるという人もいるだろう。
しかし切実な思いを抱えた人ほど、恋愛に対し、思考停止で身を寄せることができないのだと私は思う。
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